昭和の小田原:御幸の浜海水プール
昭和の小田原:集団登校

小学校の集団登校風景。
当時は登校班というのがあって、地区ごとに集まって登校していた。先頭と最後は、上級生が務めている。
上級生は集合場所にいち早く来ていて、遅れている子がいれば、誰かしらを迎えに行かせる。上級生は、それなりに責任ある立場だった。
写真の先頭の子はバットを持っているが、勿論これは護身の為ではない。当時、スポーツといえば、野球が圧倒的人気だった。クラブ活動か、あるいは放課後の遊びに使うのかもしれない。

サンスベリア(サンセベリアともいう)の種類は多いが、これはスプーンリーフといってちょっと珍しい。名前の通り、葉がスプーンの格好をしているのが特徴で、葉の長さも15㎝ほど、なかなか可愛らしい。
5月は成長期なので、新芽でも出てこないかと楽しみにしている。
昭和の小田原:天守閣広場に登る道
昭和の小田原:地区対抗運動会
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アルバムの前後関係から1959年(昭和34年)頃の写真と思われる。
本町小学校学区の、地区対抗運動会の一コマのようだ。
この運動会は、学区ごとに分かれて、親子共に参加してのものだった。校内の運動会と違って、地区をあげてのものは、また別な盛り上がりようだったと想像できる。
1964年(昭和39年)10月10日、東京五輪の開会式が行われた。
それを記念して、もともとは、10月10日が「体育の日」として祝日とされていたものだ。それが今では日にちが変わり、名称までカタカタ語に変更されている。
昭和は遠くなりにけり、と言ったところだろうか。

写真は、国道一号線「小西薬局」前を走る聖火リレー。
左端で拍手している人は、割烹着を着ているように見える。
昭和の小田原 八百屋さんがやって来た

小田原市幸町(現在の本町)新道にて。
昭和の時代、この辺りにはいろんな物売りがやって来た。
魚屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん、金魚屋さん。持って行ったお米をポン菓子にしてくれる、ポン菓子屋さんなども来ていたっけ。
この写真も、そんな八百屋さんの商売風景だ。
サドルが見えるから、リヤカーを自転車で引いて来たことが分かる。
買い物が決まると、左下に見える秤で重さを計り、はい御勘定。
着物姿の近所の奥さん連中は、お喋りをしながら買い物を楽しんでいる、いや、買い物をしながらお喋りを楽しんでいるのかな。
それにしても、帽子をアミダに被った八百屋さん、なかなかイキだねえ。
右から二人目が我が母親。
ちょっと高い所に上って、背伸びして撮ったことを思い出す。