漫遊写真帳

Category : 小田原古写真

1961年(昭和36年)頃の本町小学校運動会

古いアルバムから、本町小学校の写真がいろいろと出てきた。
我が家がずっと本町小学区にあったことによるのだが、それ以前の尋常小学校の写真まで出てきたたのにはちょっと驚いた。

昭和時代の本町小学校運動会
これは、アルバムの前後関係から、1961(昭和36)年のようだ。
二組のリレー競争のように見えるから、「紅勝て、白勝て」の紅白対抗だったのかもしれないね。
走者は裸足だ。そう言えば、五輪マラソン競技で金メダルを取ったエチオピアのアベベ選手が裸足で走ったのは、1960年ローマ大会だった。その後の東京五輪でも優勝して、二大会連続金メダルを取っている。

10月10日が国民の祝日「体育の日」として制定されたのは、1966年のこと。もともとは、1964年10月10日に東京五輪大会の開会式が行われたことに因んだものだ。それが2000年にハッピーマンデー制度とやらで、10月の第2月曜日が体育の日になってしまった。
今年から、名称もスポーツの日と変えられた。
東京五輪の記憶は、だんだん薄れてしまう気がするね。

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1964年初代芦ノ湖の海賊船

箱根芦ノ湖に海賊船が導入されたのは、1964年のことだそうだ。

芦ノ湖の初代海賊船
フランスの”セント・フィリップス号”という船をモデルにしたらしい。

芦ノ湖の海賊船クイーン芦ノ湖とビクトリー
こちらは現在就航中の海賊船。
右が”クイーン芦ノ湖”、左が”ビクトリー”。

1959年(昭和34年)の天守閣跡

小田原個写真 天守閣跡にあった観覧車
現在ある小田原城天守閣は、昭和35年に建造されたものだから、これはその前年に撮られた写真になる。
天守閣跡には、お城でなく、観覧車が設営されている。
なぜ観覧車か? 少しでも高いところから見渡すことで、天守閣に上った気分だけでも味わって貰うという趣旨だったのかな、などと想像する。

健康チェック用テントが置かれた小田原城天守閣下
こちらは2020年7月の天守閣下。
健康チェック用のテントが置かれている。

覚え書き・・・
天守閣(小田原城公式サイトより)
天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。
江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。復興に当たっては、「瓦一枚運動」が展開され、多くの市民からの寄付が寄せられました。
3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。なお、最上階の高欄付き廻縁は復興に際して新たに付けられたものです。
内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。
小田原市では平成18 年に天守閣の高さを基準とした高度規制を行い、天守閣の高さを超える建物の建築を制限し、長い時間をかけて育まれてきた歴史景観を次代に受け継いでいくこととしています。

1938年(昭和13年)の御幸の浜プール

その昔、御幸の浜プールの開場は、7月1日だった。
7月も初旬だと、まだ梅雨も明けてなく、大抵は肌寒い中でのプール開きになってしまう。それでも、初日は無料で入れるとあって、ほとんど毎年行っていたなあ。
「お前も来たのか」
「それにしても寒いなあ」
「・・は寒がって来ないんだぜ」
「根性ないなあ」
いやいや、まるでやせ我慢大会だ。

昭和13年の小田原御幸の浜プール
我が家のアルバムから、ずいぶんと古い写真が出てきた。
小田原市のホームページによると、御幸の浜プールは何度か工事が行われているが、その歴史と照らし合わせてみると、どうやら昭和13年の写真のようだ。

昭和13年の御幸の浜プール
この年に、25m一般用プールが50m競泳用プールに改造され、その祝賀式が行われたとされる。

昭和13年の御幸の浜海水浴場
こちらは御幸の浜海水浴場。
海水浴場というより、単なる海だね。

覚え書き・・・(小田原デジタルアーカイブより)
昭和9年(1934年)、台風のため全壊した前施設にかえて、一般用25メートル及び幼児用プールが併設された海水プールが完成した。
昭和13年(1938年)一般用25メートルプールを50メートル競泳用プールに改造し、同年7月1日に、当時の200メートル平泳ぎの世界記録保持者葉室哲夫選手をはじめとする日本大学水泳部員を招いての完成祝賀式が行われたが、昭和24年(1949年)この施設も、キティー台風により全壊してしまった。
このため、市は、直ちに復旧作業を開始し、昭和25年(1950年)にまず50メートル競泳用プールが完成、昭和27年(1952年)にはこども用25メートルプール及び幼児用プールが完成して復旧作業は終わった。
しかし、この施設も西湘バイパスの工事に伴って移転を余儀なくされ、昭和44年(1969年)に廃止された。現在の施設は、これに伴って新たに建設されたものである。

1991年の小田原城東堀

1991年の写真を古写真に分類して良いものか、ちょっと悩むところだけれど、今と全く違う懐かしい写真ということで、この分類としておきます。

小田原スナップ1991年の水鳥が飼われていた小田原城東堀
当時の小田原城東堀は水鳥池で、常に水が張られている分、かつてのお堀の面影を残していたと言える。
すぐ近くにある図書館の帰り、ベンチに座って、しばしこの池を眺めたものだ。我が家ではアヒルを飼っていたこともあり、水鳥たちの遊ぶ姿には大いに癒された。

花菖蒲生育中の小田原城東堀
2020年、現在の小田原城東堀。
水が引かれるのは、花菖蒲生育中の、ほんの一時期に限られている。

管理人より

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Author:漫遊人mkat
記録写真をもとに、備忘録代わりに更新しています。
分類 [写真帳-] は撮りためた写真置き場。画像はクリックで拡大されます。

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