納めに一杯

2013年12月、小田原市内の居酒屋、Panasonic LX5。
表面張力に感謝!
今年はとうとう、忘年会の誘いが一件もなくなってしまった。まあ、どうでも良いことだけどね。

正月用に新酒購入。松田町は中澤酒造の "松みどり にごり酒" だ。

まだ発酵中なので、栓にはガス抜きの穴が開いている。
家族は飲まないから、客がなければ独り占めかな。
覚え書き・・・
一般に市販されている「濁り酒」とは粗い布などで醪(もろみ)を軽く漉した清酒の一種で「活性清酒」ともいう。清酒メーカーから「濁り酒」として市販されているほとんどの商品はざるや目の粗い布などで漉す工程があるため、酒税法では醸造酒のうち「清酒」に分類される。生の状態のものは炭酸ガスを多く含んでおり慎重に取り扱う必要がある。
(Wikipediaより)
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小田原の食:樽匠の樽匠味噌ラーメン
味噌ラーメン専門店の樽匠を再訪してみた。

注文したのは、樽匠味噌ラーメン(770円+税)。
前回の単なる味噌ラーメンと、見た目の違いはチャーシューがのっていること。このチャーシューが、炙られたような仕上がりで、なかなか美味しい。
そして肝心の味噌スープ。こちら樽匠味噌のほうが、ややこってりと感じられる。個人的には好みの味だ。

茶色い壺の中には、おろしにんにく。
紙エプロンも用意されていて、希望すれば使わせてくれるようだ。

旨味のある味噌スープは、しっかり飲み干した。
某大手外食チェーン店が、「客の回転率を上げる為に、スープの温度を1度下げることにした」という記事を、以前読んだ覚えがある。
やっぱりラーメンのスープは、この樽匠のように熱々が良いね。

注文したのは、樽匠味噌ラーメン(770円+税)。
前回の単なる味噌ラーメンと、見た目の違いはチャーシューがのっていること。このチャーシューが、炙られたような仕上がりで、なかなか美味しい。
そして肝心の味噌スープ。こちら樽匠味噌のほうが、ややこってりと感じられる。個人的には好みの味だ。

茶色い壺の中には、おろしにんにく。
紙エプロンも用意されていて、希望すれば使わせてくれるようだ。

旨味のある味噌スープは、しっかり飲み干した。
某大手外食チェーン店が、「客の回転率を上げる為に、スープの温度を1度下げることにした」という記事を、以前読んだ覚えがある。
やっぱりラーメンのスープは、この樽匠のように熱々が良いね。
滋味のラーメン
大井町まで買い物に出掛けたついでに、 "滋味" で昼食を食べてきた。
通りかかる度に気になっていた店だが、入店は初めてなので、メニュー表一番手のラーメン(650円)を注文。さて、どんなラーメンが出てくるか、初めての店でのワクワク感が堪らないね。

なるとがのったラーメンなんて、何年振りだろう。昔ながらの "中華そば" といった風情だ。
一口啜ってみると、小麦の香りが残る麺が美味しい。後で知ったことだが、自家製麺だそうだ。チャーシューも適度な柔らかさで、肉の味がしっかり感じられて好みだった。

他にも気になるメニューがある。そのうち再訪してみようかな。

店名から連想される通り、店の外観は地味目だ。

この目立つ看板がなければ、見落としてしまいそう。
通りかかる度に気になっていた店だが、入店は初めてなので、メニュー表一番手のラーメン(650円)を注文。さて、どんなラーメンが出てくるか、初めての店でのワクワク感が堪らないね。

なるとがのったラーメンなんて、何年振りだろう。昔ながらの "中華そば" といった風情だ。
一口啜ってみると、小麦の香りが残る麺が美味しい。後で知ったことだが、自家製麺だそうだ。チャーシューも適度な柔らかさで、肉の味がしっかり感じられて好みだった。

他にも気になるメニューがある。そのうち再訪してみようかな。

店名から連想される通り、店の外観は地味目だ。

この目立つ看板がなければ、見落としてしまいそう。
幸田口門跡の小公園

2014年12月、小田原城幸田口門跡、OLYMPUS E-PM1。
小田原城幸田口門跡には、当時の土塁だけが残されている。この狭い一角は、石の腰掛など置かれて、小さな公園としても利用されている。
写真に写っているように、この小公園には常に猫が住み着いていた。「住み着いていた」と過去形で書くのは、今はもう1匹もいないからだ。

長い間、猫たちの世話をしていた方が、今年亡くなってしまった。同じ頃、ちょうど樹木の大規模剪定工事も入って、殆どの猫は何処かに散って行った。工事後、最後までいたのがこの猫だ。
なかなか警戒心が強い性格だったが、顔を合わせるうちに段々と懐いてきて、しまいには足元に擦り寄ってくるまでに親しくなった。
後を引き継いで世話をしていた方からは、病気に罹っているので近いうちに保護する予定だ、と聞いた。この写真を撮った5月のその日以来、会うこともなくなってしまった。
あれから7ヶ月、家猫として大人しく治まっているのかな。
覚え書き・・・
幸田門は、江戸時代には小田原城三の丸の門の一つでした。北条時代から江戸時代前半にかけては、この門が小田原城の大手口であったと考えられています。
(小田原市のホームページより)